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平和安全法制の成立を祝す

参議院における激しい論議の末
自公の他三党の賛成を得て平和安全法制が成立した。

成立前後から今に至っても反対運動があると報じられている。
確かに、戦後我が国の安全保障の枠組みにとって大きな変化であることは間違いない。

しかし、反対運動をする人達
それに同調する人達
そのうちのどれだけが法案を隅々まで読み込んだのだろう?

僕は一言一句まで読み込んだ。
その上で、この法制は我が国の安全を高めるものだと理解している。
だから、まったく反対運動に共感できない。
彼らはどれだけ法の真意と理解しているのだろう?

野党が指摘するのは曲解に他ならない。
核兵器の運搬だの
徴兵だの
妄想のレベルだ。

平和は妄想では実現しない。
現実の視点で平和と安全を確保しようとする法制の成立を心から祝う。
そして
それが有効に機能して、
我が国を取り巻く冷戦構造の中で
我が国の平和と安全を守ることを期待する。

長岡の人達を大いに見直した

昨晩、ネット中継で長岡の花火大会を観た。

幼い頃、テレビ中継を観て以来だ。
僕は新潟市の生まれだけれど
新潟市と長岡市は歳の近い兄弟みたいな所がある。
長岡市民が「県の中心だから県庁所在地にふさわしい」と言えば
新潟市民は「港も空港もないくせに」という。
長岡市には北越銀行、新潟市には第四銀行
長岡市には越後交通、新潟市には新潟交通

張り合っているときりがないのだが、一点だけ
「長岡は空襲を受けた」それも「新潟が悪天候だったので長岡に行った」については、
「お気の毒」と言わざるを得ない。

その空襲があった8月1日、
その翌日から2夜にわたって花火大会が行われる。
鎮魂と復興を祈って行われる。

その目玉は、勿論三尺玉である。
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また、尺玉百連発も圧巻だった
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ネット中継では解説が語ってくれるから、次になにが来るのかよく判る。
その中で、我が耳を疑うようなことがあった。
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赤と青はアメリカの国旗をあらわし、東日本大震災においてトモダチ作戦を行った米軍への感謝を示す」旨が語られた。

自分たちが米軍から受けた空襲に由来する花火大会で
自分たちが直接助けられたわけでもない米軍のトモダチ作戦に感謝を表すとは…
何と恩讐を超えたことだろうか…


昨夜ばかりは…長岡市民の度量を大いに見直したものだ。

わざわざ本土から沖縄に出向いていって反基地闘争をする連中に
長岡市民の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

琉球新報と沖縄タイムスは民主主義に寄与しているか? [核と平和と田母神氏]

ここへ来て、百田尚樹氏の発言が物議を醸している。

発端となった記事はこれだ。
------------引用開始------------
安保法案で報道批判続出 自民改憲派の勉強会

 安倍晋三首相に近い自民党の若手議員約40人が25日、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合を党本部で開いた。安全保障関連法案に対する国民の理解が広がらない現状を踏まえ、報道機関を批判する意見が噴出した。講師として招いた作家の百田尚樹氏に助言を求める場面も目立った。
 出席者によると、百田氏は集団的自衛権の行使容認に賛成の立場を表明した上で、政府の対応について「国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ」と指摘した。
 出席議員からは、安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との声が上がった。
 沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張した。
 懇話会は木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐も参加した。
 出席者の一連の発言について、自民党中堅は「自分たちの言動が国民からどのような目で見られるか理解していない。安保法案の審議にマイナスだ」と指摘。公明党幹部は「気に入らない報道を圧力でつぶそうとするのは情けない。言葉を尽くして理解を求めるのが基本だ」と苦言を呈した。
2015/06/26 00:03 【共同通信】
------------引用終了------------
与党議員と識者が、閉鎖空間でそういう話をしたということだ。 それをどうやって聞きつけたか知らないが、 だからどうした? というのが第1の僕の感想だ。

勿論人にはオフィシャルな立場での発言と
プライベートな立場での発言がある。
このうち、オフィシャルな立場でもオープンな場での発言と
クローズドの場での発言がある。
更に人には内心がある。
これらが完全に一致するわけがない。

今回の発言はオフィシャルな立場ながら、クローズドの場での発言だ。 それをあげつらうのはどうかとも思う。

次に中身を見てみよう。
「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。」
ここだ。
ここでいわれているのは、琉球新報と沖縄タイムスであることは明らかだ。

言うまでもなく、報道機関は、我が国の民主主義が健全に機能するために必須の役割を果たす。すなわち、物事を正しく伝えることだ。
だから、一般論から言えば「新聞をつぶさないといけない」とは民主主義に対する重大な挑戦とも受け取れる。

しかし、琉球新報と沖縄タイムスは、県内の民主主義が健全に機能するための役割を果たしてきただろうか? 特に米軍をめぐる報道は、物事を正しく伝えてきたのだろうか?


いくつか事例を見てみよう。
東日本大震災が発生して一週間が経過しようとしている3月18日に、琉球新報は以下のような記事を載せた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174892-storytopic-11.html
------------引用開始------------
米軍の災害支援 それでも普天間はいらない2011年3月18日 9:31

 効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。
 東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍が普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。
 在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
 未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。
 しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう。
 在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。
 悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。
 米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。
 「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。
 メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。
 日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。
 はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。
------------引用終了------------
3月18日朝、これはどのような時点だろうか?
この日の14時過ぎに震災発生から丸一週間を迎えようとしている日の朝だ。
すなわち、被災地の現場では、生存する被災者を1人でも多く救助しようとする最後の戦いがくり広げられているときだ。
その時に琉球新報は、我が国の被災者に手をさしのべようとする米軍に唾を吐きかけるかのような記事を載せたのだ。
その視点は、「普天間はいらない」という、自分たちの都合を前面に打ち出している。 これが、健全な民主主義に寄与する報道機関のあり方だろうか?



もう一つの事例を示そう。
翁長知事は常々「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。」と強弁している。
以下の記事でもそれは紹介されている。
翁長知事あいさつ(全文) 5・17県民大会2015年5月17日 21:19
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-243054-storytopic-271.html

勿論、琉球新報も沖縄タイムスもその強弁をそのまま伝えはするが、それが実は虚偽であることを伝えない。

佛教大学社会学部論集 第56号(2013年3月)に
『軍用地料の「分収金制度」(2)──入会地と戦後軍用地』という論文が載っている。
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/SO/0056/SO00560L093.pdf
そこには、キャンプシュワブとキャンプハンセンは、地元住民が主体となって基地を誘致したという事実が述べられている。
------------引用開始------------
基地“誘致”の背景
基地誘致に関して言及のある3種類の文献がある。一つはテレビ取材班によるレポ(NHK取材班「基地はなぜ沖縄に集中しているか」NHK出版,2011年),二つは金武村自らが編集したもの(金武町企画開発課「金武村と基地」1991年),そして三つはやや異色の著者によるもの(恵隆之介「誰も書かなかった沖縄」PHP研究所,2000年,同「誰も語れなかった沖縄の真実」ワック株式会社,2011年.ここでは2000年本による)である。基地を誘致したという事実をそれぞれジャーナリスト,自治体当事者,元自衛官の著作家という立場で語るのであるが,どこにその視点を定めるかによって語り口は当然異なってくる。事実経過だけを記すと以下のようである。
久志村辺野古では1956年以降,村長が村議会全員の署名を集めて当時の民政長官(陸軍中将)に「村おこし」のために誘致を陳情するという「誘致運動」があった。しかし,軍用地料の支払いをめぐる「島ぐるみ闘争」が行われていたことがあって米民政府は即答を避けたが,再三にわたる陳情によって応諾,海兵隊が訓練場増設の必要からこの誘致に応じ,地主の80%以上が自ら進んで米軍と契約した。
1959年10月基地が完成すると村では祭りが催され,村長は「第二のコザ市をめざす」と発言し村民から喝采を浴びた。金武村でも同様で,地元住民が兵舎を含む恒久施設の誘致を積極的に行っていた。米軍基地を誘致すれば雇用が生まれ,基地から余剰の電力や水道の供給も受けられ,あるいは急病人の発生の際には米軍診療所で治療がうけられるといったメリットが語られたという。
この経過記述はかなり具体的であるが,NHK記者による取材と90歳に近い古老からの聞き書きとは大いに異なる。その古老は1955年当時30代半ばであるから,必ずしもこの経緯の当事者とも思えない想い出話となるが,海兵隊の移駐に辺野古住民はもともと反対であったという。この第二期の軍用地接収の候補地として米軍は辺野古を挙げていたのだという。NHK取材班によると辺野古への接収通告が宜野湾村伊佐浜の接収の直後にあったというのだ。
そこで住民代表たちが会合を重ねた結果,折衝委員を選出し条件を付して受入れ折衝に臨んだ方がよいということになったとある。海兵隊基地の建設工事は1957年3月に始まり辺野古は「新たな歩みを始める。」総工費200万ドルの事業規模によって「空前の活況」を呈するのである。建設労働には地元民の優先雇用とともに全島から職を求めて押し寄せる労働者,工事を当て込んだ商人が土地や貸家を求める問い合わせ,空き地が無いほどバーや料亭がひしめき,当時の人口500人,平地の少ない辺野古,農耕は限られ,入会地である山に入って木を切り出して現金収入を得るほど貧しい農村が「一大特飲街」と化して,山依存経済から基地依存経済へと移行,工事着工から5年で辺野古の人口は4倍に膨れ上がった。
こうして基地と共存することを選んだ辺野古は,基地居住民すなわち海兵隊員そのものを辺野古の一部つまり住民として処遇し,毎年恒例の催事にその構成員として参加を求めるという。そうした基地との交流には住民代表とキャンプ・シュワブの大隊司令官が加わる「親善委員会」が任に当たりスポーツ大会や年中行事,また輸血提供など「おしみない協力をして地域に溶け込んだ親睦活動」によって「相互の利益を守り尊重する委員会として今日に至り継承されている。」また軍用地の賃貸契約には水道の整備を求めるという条件を付けていたためそれは米民政府の援助によって行われ,街の水需要が増してくると米軍管理下の辺野古ダムから給水が行われるようにもなったという。
こうした基地誘致による地域の発展を見て,辺野古以外の住民による地区への視察が相次ぎ,「その活況ぶりを目の当たりに」して海兵隊の誘致に動き出した地域の一つのが金武村であった。
金武村関係者による1991年編集の冊子本には,活況を呈する辺野古に金武村と宜野座村から村会議員などの有志たちが視察に出かけたとある。金武村はすでに米軍が沖縄占領時から接収して実弾射撃訓練地であったが,海兵隊移駐に向けた兵舎などの施設が必要であったから金武村からの誘致は渡りに船であったかもしれない。
「金武には弾は落ちるが,ドルは落ちない」「演習は金武でやり,遊興は辺野古とコザ市」といった思いが最終的に基地の誘致という「苦渋にみちた選択」に至らせた。こうして金武と宜野座と跨ったキャンプ・ハンセンの基地建設が始まり,「島ぐるみ闘争」が終結へと向かったのであったが,この編集本の基地誘致に至る件りの経過説明の部分は当事者でありながらやや疎にして簡である。誘致に至る衆議がよほど複雑であったのかもしれない。因みに,これは入手することができなかったが,辺野古においても『ひぬく誌』という辺野古区編纂委員会による編集本が1998年に刊行されている。基地の所在する地方自治体が自ら誘致経過に関する本を編集する理由は何であろうか,沖縄社会における90年代の基地問題と何らかの関連があるのだろうか。
沖縄においては,軍とそれを受け容れる地域社会host communityとはもとより対等な関係にはない。米軍による接収に対して選択の余地はないが,こちらから差し出すという基地誘致の選択には,そうしても損ではないという計算が働いていたと思われる。
(つまりそれだけ貧しく,現金収入という魅力があったかもしれない)すなわち,基地をめぐる新興ビジネスへの期待ばかりではなく,辺野古,金武村,宜野座村においてはいずれも沖縄中部の各村のような個人所有の土地つまり私有地はほとんどなく,村有地などの共有地であるため基地を誘致するための合意形成が容易であったと見ることができるからである。
------------引用終了------------

繰り返しになるが、翁長知事が繰り返し強弁する「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。」はまったくの嘘であることがわかる。
にもかかわらず、琉球新報も沖縄タイムスも、その嘘を追認しているわけだ。
それらを見ただけでも、琉球新報も沖縄タイムスも、健全な民主主義に寄与していないということがよく判る。

日本国憲法第九条と国民の福利

 日本国憲法の前文には、以下のようなくだりがある。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

 これを箇条書きにすると、
  国政は
a 国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し
b その権力は国民の代表者がこれを行使し、
c その福利は国民がこれを享受する
d これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
e われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 国民が享受すべき最大の福利は、我が国が平和と独立を保つことだ。
 これがあって初めて、日本国憲法が保障する数々の人権を実現できるわけだ。

 日本国憲法第九条は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」という大いなる幻想に依拠しており、これを墨守したが故に、「我が国の平和と独立」を危うくし、或いは独立を失うおそれがあるのだとすれば、
 国民は「c その福利は国民がこれを享受する」が否定されることになる。

 従って、我が国の平和と独立を保ち、国民の福利を守るために必要な限度において、第九条は「 e われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」により、その効力を排除されなければならないと考える。
 これは、僕個人の考えだが、いみじくも「新3要件」の考え方は、これに近いように思える。

今の憲法と安全保障 [核と平和と田母神氏]

承前

日本国憲法が、大いなる幻想に依拠しているならば、改正するのが妥当だと思う。

一方、大いなる幻想であることが明らかとなった朝鮮戦争勃発の時点(1950年)での我が国の事情がそれを許したかと言えば「否」だ。
なにしろ、戦後まだ5年で、経済力もなければ社会のインフラも破壊しつくされていたのだから、

だから、
経済再建を優先した、「吉田ドクトリン」が、当時は妥当だったとおもう。

その代償として、日本国憲法は、大いなる幻想に依拠したままでここまで来てしまったのだと考える。

そのなかで、歴代の政治家たちは、幻想に依拠する憲法と、国際社会の現実の狭間で、我が国の安全を全うするために苦悶して来られた。

今では、安保体制や自衛隊を支持する世論が圧倒的だが、砂川判決の前までは、わが国が自衛権を有しているかどうかさえ大論争だった。

60年安保改訂は、この度以上の反対運動を引き起こし、安倍総理のお祖父さまに当たる岸総理はその成立に政治生命を犠牲にした。

安陪総理もそのくらいの覚悟をお持ちなのだと思う。

私は、この度の法案や昨年の閣議決定を一言一句まで読んだが、大変よく練られていると思う。
今は、野党の針小棒大宣伝と歪曲報道にさらされて国民世論は反対が優勢だが、後世の評価に十分耐えられるものだと思う。

憲法学者の多数決? [核と平和と田母神氏]

いやー!
随分このブログもご無沙汰をしてしまった…
仙台から関東へ…関東から九州へ…
流転の中で、物事を考える暇がなかった(^-^;)

さて、国会はこの度長期延長を決め、平和安全法制の論議が熱を帯びてきた。
ここへ来て、憲法学者の支持・不支持も一つの論点になっているように見える。

そもそも
このような論議が起こるのは、
憲法学者さまたちの多くが、大いなる幻想から離れることができないことに起因していると思う。

すなわち
「平和を愛する諸国民の公正と信義」という幻想だ。

このような「平和を愛する諸国民の公正と信義」というものが実在しない幻想であったということは、朝鮮戦争勃発の時点で明らかになっていた。
国境を越えて南進してきた北朝鮮軍は、その理由を「大韓民国側からの先制攻撃があった」と声明した。
それがまったくの虚偽であることは現代の常識である。
つまり、国家間の紛争は、虚偽の理由でなんとでもはじめられるということだ。

そして、冷戦間に起こったこと、
例えば、ベルリン封鎖、チェコ事件、ハンガリー動乱、キューバ危機、アフガン侵攻その他もろもろ、これら全ては、「平和を愛する諸国民の公正と信義」では説明がつかない。
ブレジネフに至っては、「主権平等」に真っ向から反する「主権制限論」まで持ち出した。

更に、冷戦終結後に生じた新たな紛争も、同様だ。
未だに、この地上における「公正と信義」は、「武力」の裏付けなしには存在し得ないのである。

しかし、多くの憲法学者さまたちも政治家さまたちも
そこを乗り越えられず
「平和を愛する諸国民の公正と信義」という幻想に、しがみついたままで今日まで来てしまった。

それは、すなわち、大いなる幻想に依拠する第九条の字面にしがみついていることを意味する。
そのため学説と現実が天地の如く乖離してしまった

そのような多くの憲法学者さまたちのありさまは、
まさに「天動説」そのものである。

僕から見れば、安倍政権こそ「ガリレオ政権」だと思う。

平和安全法制は、我が国に侵略しようとする独裁国家の意思を思いとどまらせる効果がある。
僕はそこを支持する。

辺野古埋め立て承認を受けた主要紙の社説 [普天間]

気がつけば、1年以上のご無沙汰をしてしまった。m(_ _)m

昨日、仲井真弘多知事が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した事を受けて、主要紙は一斉に社説を掲載したのでこれを概観する。

まず、地元二紙は激しくこれを非難する。
琉球新報社説  知事埋め立て承認 即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点2013年12月28日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-217223-storytopic-11.html
 仲井真弘多知事が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した。「県外移設」公約の事実上の撤回だ。大多数の県民の意思に反する歴史的汚点というべき政治決断であり、断じて容認できない。(以下略)

沖縄タイムス 社説 [知事埋め立て承認] 辞職し県民に信を問え2013年12月28日 06:00
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=59679
 政治家の命綱である「選挙公約」をかなぐり捨てた姿というほかない。だが、本人はそうは思っていない。埋め立ては承認したが、「県外移設」の公約は変えていない、という。県外移設を実現するために、政府から何の担保も取っていないのに、である。こんな説明で県民の理解が得られるとほんとに思っているのだろうか。(以下略)


毎日朝日も似たような論調である。

毎日新聞 社説:辺野古埋め立て 県民は納得していない
 2013年12月28日 02時31分(最終更新 12月28日 11時58分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20131228k0000m070119000c.html
  沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた国の公有水面埋め立て申請を承認した。1996年の普天間返還合意から17年たって、移設問題は新たな段階を迎えた。だが県内移設となる辺野古の埋め立て承認は、知事の「県外移設」の選挙公約と矛盾するなど多くの問題をはらんでいる。(以下略)

朝日新聞 辺野古埋め立て―沖縄の負担を分かちあう
2013年12月28日(土)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
http://www.asahi.com/articles/DA2S10902345.html
 米軍普天間飛行場を移設するため、名護市辺野古の海の埋め立てを認める。  沖縄県の仲井真(なかいま)弘多(ひろかず)知事が、そんな判断を下した。  宜野湾市の市街地の真ん中にある普天間飛行場は「世界一危険な基地」とも呼ばれる。その返還に、日米両政府が合意して17年。移設問題は新たな段階に入ったことになる。  普天間の危険は一刻も早く除かなければならない。だからといって在日米軍基地の74%を抱える沖縄県内に新たな基地をつくらなければならないのか。  移設計画への反発は強く、朝日新聞社などが県内で今月中旬に実施した世論調査では、64%が埋め立てを承認すべきではないと答えた。  知事は3年前に「県外移設」を掲げて再選された。なのになぜ埋め立てを認めるのか。知事は、県民の批判や失望を覚悟しなければならない。(以下略)


他方、前向きに捉えるのが読売と産経

読売新聞 辺野古移設承認 日米同盟強化へ重要な前進だ(12月28日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20131227-OYT1T01260.htm
 ◆沖縄の負担軽減を加速させたい
 1996年の日米合意以来、様々な曲折を経てきた米軍普天間飛行場の移設問題の解決に向けて重要な前進である。  沖縄県の仲井真弘多知事が、普天間飛行場の名護市辺野古への移設に伴う公有水面埋め立てを承認した。  普天間問題はこの17年間、日米間の最大の懸案で、膨大な時間と精力が注がれてきた。日米両政府、沖縄県、名護市、米軍など多くの関係者が複雑な事情を抱える、困難な連立方程式だからだ。  これまでの苦労を無駄にせず、難題を克服することは、日本の安全保障環境が悪化する中、同盟関係をより強靱(きょうじん)で持続可能なものにするという大きな意義を持つ。
 ◆知事の決断を評価する
 仲井真知事にとっては、まさに苦渋の決断だったろう。  当初は、辺野古移設を条件付きで支持していたが、民主党の鳩山首相が「最低でも県外移設」と県民の期待を無責任に煽(あお)ったため、2期目の知事選公約に「県外移設」を掲げざるを得なくなった。  しかし、埋め立てを承認しなければ、普天間飛行場の危険な現状が長期間にわたって固定化されてしまうのは確実だ。(以下略)

産経新聞 辺野古承認 重い決断受け着工急げ 国民全体で抑止力考えたい
2013.12.28 03:11 (4/4ページ)[主張]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803120004-n4.htm
 長年の懸案だった米軍普天間飛行場の辺野古移設が、実現に向けて大きく前進した。
 沖縄県の仲井真弘多知事が、政府による辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認すると発表した。時間はかかったが、根強い反対論の中で、知事が国益と県民の利益の双方を考えたうえで下した重い決断を評価したい。  県との信頼を醸成し、基地負担軽減や最大規模の沖縄振興策で応えた政府の後押しも奏功した。  わが国を取り巻く安全保障環境は急速に悪化している。難しい課題は残るが、国民と領土を守るために必要な移設実現への取り組みを加速しなければならない。(以下略)


僕の考えは日経に近い。

日経新聞 沖縄の決断に応え普天間の早期移設を
2013/12/28付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64714420Y3A221C1EA1000/
 17年も立ち往生が続く問題に、解決の糸口がみえてきた。米軍普天間基地を沖縄県名護市辺野古に移設するのに必要な埋め立てを県知事が承認した。政府は早期に移設が進むようにさらなる努力を払わなければならない。  「基地負担を全国で分かち合う動きが出始めている」。沖縄県の仲井真弘多知事は承認発表の記者会見で、安倍内閣が打ち出した米軍訓練の半数を本土に移すなどの方針を高く評価した。  第2次大戦で全国で唯一、一般住民を巻き込む地上戦を経験し、戦後は長く米施政下に置かれた沖縄の県民には「日本に見捨てられた」との被害者感情がある。  基地反対運動は事故や騒音をなくしたいだけではなく、全ての日本人が同じ苦しみを味わっているのかという叫びでもあった。政府のみならず、全国民がこの思いを心し、各地で自ら訓練を受け入れるようにしなければ移設作業は再び暗礁に乗り上げよう。  年明けに移設先の名護市の市長選がある。宜野湾市の住宅密集地にある普天間基地が抱える事故の危険をどう取り除くのかなど原点に立ち返り、早期の移設の必要性を沖縄県民や名護市民に理解してもらう努力が欠かせない。(以下略)


僕が普天間移設に関心を寄せるようになって丸4年が経った。
奇しくも、当ブログで「普天間はなぜ移設せねばならぬのか?」という記事を載せたちょうど4年後の昨日、沖縄知事が埋め立て申請を承認したことになる。
政権交代による回り道で、ちょうど4年遅れたということだ。

ただ遅れただけではない。
あの頃と今では、沖縄県内の政治情勢は余りにも違いすぎる。
当時は、曲がりなりにも知事も名護市長も辺野古移設を容認する立場だった。
それが今では両者とも県内移設に反対の立場となってしまった。

そのような県内の雰囲気を作り出したのは「最低でも県外」という空手形だった。
素人が政治をすることが、如何に恐ろしいかよく判る。

竹島に関わる論議から

竹島問題がすごいことになってきた。

僕はかつてyahoo掲示板で熱い討論がなされたことを目撃したことがある。
その討論は↓にアーカイブされている。
http://web.archive.org/web/20030212172537/http://www.keroa.net/take/
なかでもTorazo_xxx 氏の投稿は圧巻である。

彼の許可のもと、ここに引用する。
なお、彼は一切の改変を加えないことを条件として、自らのあらゆる投稿につき、転載や引用に同意している。
僕と彼との関係は…口止めされている。

◆◆◆◆◆引用はじめ◆◆◆◆◆
1093: (>>1) 国際法と竹島 1要旨
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前 9時02分
メッセージ: 1093 / 2486
はじめに
私が竹島問題に関心を持つようになってから一ヶ月あまりが経過しました。
この間、国際法や竹島に関する経緯を研究して、そろそろまとめるべき時期が来たようです。

このため、
1 このような問題に関して適用すべき原則を確認し、(法規編)
・領域紛争に関してなされた判例を列挙
・それらを通じて累積されて慣習法となった原則を確認
・原則適用の具体例を確認

2 原則に基づき、証拠となる事実を挙げて検討(証拠編)
・事実の確認
・関係証拠の検証
 SCAPIN677
 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)
 米国の外交文書
 日米安保条約関係

3 結論


という順序で考察します。
なお、1945年以前の経緯についてはこの掲示板にてほぼ論じ、既に日本側の証拠が優越することを述べたことと、それ以降の証拠を論ずれば、竹島問題の法的結論を見いだすことができると考えられることから、検証する証拠は戦後のものに限りました。

1094: (>>1093) 国際法と竹島 2法規編 1国際判例
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前 9時05分
メッセージ: 1094 / 2486
 法規編においては、竹島問題に関して適用されるべき国際法の原則を確認します。

 国際法は、国際慣習法及び条約として発展してきました。このうちの条約が当事国のみに適用されることに対し、国際慣習法はあらゆる国家に普遍的に適用されるものです。
 この国際慣習法は、「法的確信」をもった「国家の行為(国家実行)」が累積されることにより成立する「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」です。

 では、領域紛争に関して、如何なる慣行が、法的確信をもって行われてきたのでしょうか?
 そのような累積された国家実行の証拠として、これまでに国際間で争われた領域に関する紛争において、裁判的解決手段が用いられ、終局判決(権利義務を定める判決)が示されたケースを列挙しましょう。
私が承知するものだけで、今世紀に合計37件あります。


○仲介裁判(22件)
・アラスカ国境事件(アメリカ/イギリス 1903.10.20)
・ギアナ境界事件(イギリス/ブラジル 1904.6.6)
・バロッツェランド国境事件(イギリス/ポルトガル 1905.5.30)
・ボリビア=ペルー国境事件(ボリビア/ペルー 1909.7.9)
・グリスパタルナ事件(ノルウエー/スウェーデン 1909.10.23)
・北大西洋沿岸漁業事件(イギリス/アメリカ 1910.9.7)
・ウォルフィッシュ湾地区境界事件(イギリス/ドイツ 1911.5.23)
・エル・チャミザル事件(アメリカ/メキシコ 1911.6.15)
・チモル島事件(オランダ/ポルトガル 1914.6.25)
・コスタリカ=パナマ国境事件(コスタリカ/パナマ 1914.9.12)
・コロンビア=ベネズエラ国境事件(コロンビア/ベネズエラ 1922.3.24)
・パルマス島事件(オランダ/アメリカ 1928.4.4)
・アールー山事件(サウジアラビア/イエメン 1931.12.3)
・クリッパートン島事件(メキシコ/フランス 1931.1.28)
・グアテマラ=ホンジュラス国境事件(グアテマラ/ホンジュラス 1933.1.23)
・チャコ事件(ボリビア/パラグアイ 1938.10.10)
・ホンジュラス=ニカラグア国境事件(ホンジュラス/ニカラグア 1961.8.5)
・アルゼンチン・チリ境界事件(アルゼンチン/チリ 1966.12.9)
・カッチ事件(インド/パキスタン 1968.2.19)
・ビーグル海峡事件(アルゼンチン/チリ 1977.4.18)
・大陸棚境界画定事件(イギリス/フランス 1977.6.30)
・タバ国境柱石紛争(イスラエル/エジプト 1988.9.29)

○司法裁判
常設国際司法裁判所(2件)
・トルコ=イラク境界事件(トルコ/イラク 0925.11.21)
・東部グリーンランドの法的地位事件(デンマーク/ノルウエー 1933.4.5)

国際司法裁判所(13件)
・マンキエ・エクレオ事件(イギリス/フランス 1953.11.17)
・若干の国境地方に対する主権に関する事件(ベルギー/オランダ 1959.6.20)
・プレア・ビヘア寺院事件(カンボジア/タイ 1962.6.15)
・北海大陸棚事件(西ドイツ/デンマーク・オランダ 1969.2.20)
・大陸棚事件(チュニジア/リビア 1982.2.24)
・メイン湾海洋境界画定事件(カナダ/アメリカ 1984.10.12)
・大陸棚事件(リビア/マルタ 1985.6.3)
・国境紛争事件(ブキャナソ/マリ 1987.4.9)
・1982.2.24大陸棚事件判決の最新及び解釈の請求事件(チュニジア/リビア 1985.12.10)
・陸・島及び海洋境界紛争事件(エルサルバドル/ホンジュラス 1992.9.11)
・グリーンランドとヤンマイエンとに挟まれた海域の海洋境界画定事件(デンマーク/ノルウエー 1993.6.14)
・領土紛争事件(リビア/チャド 1994.2.3)
・カシキル・セドゥドウ島事件(ボツワナ/ナミビア 1999.12.13)

1095: (>>1094) 国際法と竹島 2法規編 2原則
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前 9時06分
メッセージ: 1095 / 2486
 次いで、先に列挙した諸判例に代表される国家実行の累積等から確立された、「領土の取得と領土紛争に関して適用される原則」を紹介しましょう。

1 用語の解
 ・領域権原
  一定の地域について、領域主権を有効に設定し行使するための原因または根拠となりうる事実
 ・領域主権
  国家領域の領有・利用に関する排他的権利が及ぶ場所的な範囲を画定するとともに、そこに在留する全ての者に対し包括的な国家管轄権を行使しうる権能
 ・国家管轄権
  国家がその国内法を一定範囲の人、財産または事実に対して具体的に適用し行使する国際法上の権能
 ・紛争
  各国が相互に排除しまたは否認しあう主張を公然と行う場合


2 領域の取得
  領域権原の取得は、以下の二種類に大別される。
 ・原始取得
  それまでいずれの国にも属さない地域を先占その他の権原により、国家領域に編入すること。先占においては実効的な支配を要し、その地域における領有意志をもった国家活動(立法・行政・司法等)が実際になされることを要する。
 ・承継取得
  それまで他国の領域であった部分を併合、割譲その他の権原により転移を受け、国家領域に編入すること。


3 時際法
  過去の事実を検討する際に、一般的に、その当時に有効であった国際法規に照らして判断すること。

4 決定的期日
  国家間に領域を巡る紛争が発生した際には、決定的期日以前の平和的・継続的な支配が解決の基準となる。
  当時国間に紛争が発生し、または領域主権の帰属が決定的となったと見られる時期を、「決定的期日」として決定する。
  これが決定されると、この時期を基準として、領域権原の証拠となる事実の証拠力が定められる。原則として、決定的期日以前に存在した事実または行為に限り証拠力を認め、特に紛争の存在が明らかになった時点で当事国が自己の立場を有利にするために行った行為については、証拠力を否認する。
  この原則の例外として、決定的期日以前より継続する事情があり、当事国が自己の立場を有利にするために行ったものでないかぎり、証拠として考慮されうる。

5 その他
 ・領域主権の表示は、遠い過去の時代に遡って必要とされるわけではなく、決定的期日直前の時点で、現地の状況に応じて合理的と認められる程度に存続しており、他国の主権主張と抵触していなければ十分である。
 ・本土から容易に到達できる地域については、現地に対する裁判権と、通常の地方行政の実施、政令の適用など、法秩序を維持し実現するための具体的かつ継続的な国家活動を通じての、占有と直接関係のある証拠の存在が必要である。
 ・占有のため、他国に対する通報は通常必要ない。
 ・隣接性(地理的な近接性)を根拠とする領域権原は、国際法上の独立の権原としては認められない。


 このように、半月城さんがご紹介下さったものとは、随分異なるということが判ります。

1096: (>>1095) 竹島と国際法 2法規編 3実例 前段
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前 9時09分
メッセージ: 1096 / 2486
先に提示した原則を適用する代表的な判例として、マンキオ・エクレオ事件について紹介しましょう。

ここに国際司法裁判所による要旨があります。
http://www.icj-cij.org/icjwww/idecisions/isummaries/ifuksummary531117.htm

以下、『判例国際法』(東信堂)より引用します。先に紹介した原則がほぼ適用されていることが判ります。

-----------------------------------------
【事実】マンキエおよびエクレオは、英国領チャンネル諸島の1つジャージー島とフランス本土の間にある小島群で、19世紀の末以来、英国とフランスとの間でその帰属が争われていた。両国は1950年12月の特別協定においてこの問題を裁判で解決することに合意し、1951年12月5日、国際司法裁判所に訴えを提起した。
 請求の内容は、マンキエ・エクレオの島嶼と岩礁が領有の対象となりうる限りにおいて、それらに対する主権は両国のいずれに帰属するか、ということである。両国はともに、古来のないし原初的権原または実効的占有による権原に基づいて、領有権の存在を主張したが、裁判所は、双方から提出された証拠の相対的価値の評価を行った結果、英国の実効的占有による権原の主張を認めて、マンキエ・エクレオに対する主権が英国に帰属する旨の判決を下した(全員一致)。

【判決要旨】
1 両当事国はいずれも、エクレオ・マンキエに対する古来のないし原初的権原を有し、その権原は常に維持されており失われたことはなかった、と主張した。したがって、本件は、無主地の主権取得に関する紛争の特徴を示すものではない。英国は1066年のノルマンディー公ウィリアムによるイングランド征服から、他方フランスは1204年のフランス王によるノルマンディー征服から、自国の権原を引き出す。しかし、両国が同様に援用する中世の諸条約は、いずれの側の主張を立証するにも十分でない。英国は、古文書に基づき、問題の島群を含めチャンネル諸島が大陸ノルマンディーと区別される一体とみなされていたと主張し、この見解を支持する強い推定は成り立つが、マンキエ・エクレオに対する主権の問題は、これらの島群の占有に直接関連する証拠によって決定されるべきものである。フランスは、英国王はフランス王の家臣たるノルマンディー公の資格でフランス王の封地を保有していたのであり、1202年のフランス裁判所の判決によって、英国王の保有するすべての封地が没収されたと主張する。しかし、英国は、ノルマンディーに関するフランス王の封建的権原は名目的なものに過ぎないと主張し、上の判決の存在も争っている。裁判所は、この歴史的論争には立ち入る必要を認めない。たとえフランス王がチャンネル諸島に関Lて封建的権原を有していたとしても、その権原は、1204年以降の諸事件の結果失効してしまったに違いなく、後代の法に従って他の有効な権原により代替されていない限り、今日いかなる法的効果も生じないからである。決定的に重要なのは、中世の諸事件に基づく間接的推定でなく、マンキエ・エクレオの島群の占有に直接関係する証拠である。
(続く)

1097: (>>1096) 国際法と竹島 2法規編 3実例 後段
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時03分
メッセージ: 1097 / 2486
(承前)

2 そのような証拠許容のための決定的期日(critical date)について、英国は紛争が具体化した1950年の特別協定の締結日を、他方フランスは1839年の英仏漁業条約の締結日を主張する。裁判所によれば、英仏漁業条約が定める共同漁業水域は同水域内の島群の主権の帰属に関係はなく、また1839年当時、両国の間にカキ漁業に関して意見の相違はあったが、問題の島群の主権に関する紛争はまだ発生していなかった。それが発生したのは、フランスが初めて主権を主張した1886年(エクレオ)と1888年(マンキエ)である。しかし、本件の特殊事情から、その後の行為も、関係当事国の法的地位を改善する目的でなされたものでない限り、裁判所によって考慮されるべきである。

3 まず、エクレオに対する両当事国の主張を検討すると、エクレオは13世紀の初めイギリス王保有の封土であるチャンネル諸島の構成部分として扱われ、14世紀初めには同王が裁判権、課税権を行使Lた記録もある。19世紀初めから、カキ漁業の重要性が増すにつれて、エクレオとジャージーとの関係は再び緊密になった。それ以来、ジャージー当局は同島に関して様々な措置をとっており、それらの事実のうちで、裁判所は、とくに司法権、地方的行政権、立法権の行使に関する諸行為(刑事裁判の実施、教区税・地方税の徴収、エクレオ岩礁をジャージーの範囲内に含めて扱った措置など)に証拠価値を認める。他方フランスは、1886年に主権を主張するまで、有効な権原を保持していたことを示す証拠を提出していない。これらの事実に照らして、対立する主権主張の相対的な力を評価すると、裁判所は、エクレオに対する主権が英国に帰属すると結論する。次に、マンキエに対する両当事国の主張を検討すると、マンキエは17世紀の初めジャージーにおける封土ノワールモンの一部として扱われ、裁判権が行使された記録があり、また、エクレオについて提出されたものと同一の性質の様々な証拠から、英国は19世紀のかなりの期間と20世紀において、マンキエに関して国家的機能を行使してきたと認められる。フランスは、マンキエがフランス領ショーゼー島の属島とされてきたと主張するが、それは確認できない。マンキエの暗礁の外側における浮標の設置を含め、とくに19世紀から20世紀にかけての行為は、この小島群の主権者として行動するフランスの意思の十分な証拠とみなすことはできず、また、そのような行為は国家的機能の発現を含むとみなすことはできない。フランスが主権を主張したのは、1888年になってからである。このような事情から、マンキエに対する主権は英国に帰属すると判定する。

1098: (>>1097) 国際法と竹島 3証拠編 1全般
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時05分
メッセージ: 1098 / 2486
 では、引きつづき、証拠を提示して検討することにより、竹島の帰属について論証します。
 今回提示する証拠の細目を時系列を追って示します。いずれも、竹島が我が国の領土であることを示すものです。

1. 1956.1.29 若干の外郭幼域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書(SCAPIN-677)

2. 1949.11.14 駐日政治顧間代理(シーボルド)から国務長官へ(電報)

3. 日付不明 北東アジア課ロバート・A・フィアリー氏による日付のない覚書

4. 1951.7.19 北東アジア課朝鮮担当官(エモンズ)による会談覚書

5. 同上    韓国大使(ヤン)から国務長官へ

6. 1951.8.10 国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡

7. 1951.9.8  日本国との平和条約

8. 同上    日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)

   (1952.1.18 李承晩大統領の海洋主権宣言)
   (1952.1.28 日本による抗議)

9. 1952.2.28 日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定

10. 1952.7.26 行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定

11. 1953.3.19 日米行政協定に基づく日米合同委員会の決定


 この場合、決定的期日は海洋主権宣言の1952.1.18となるでしょう。半月城さんは日本側の抗議の日を挙げていましたが、どちらでも結論は変わりません。

 半月城さんはサンフランシスコ講和条約の発効が決定的期日以後であることを理由としてか、同条約が期日後であるように仰っていますが、明らかに誤りです。なぜならば、たとえ発効が決定的期日以後であっても、同条約に示される「静穏な領有」を定める意思表示は、1951.9.8即ち決定的期日以前になされているわけです。
 また、9番から11番の証拠については、決定的期日以降ですが、原則で示されたように、「決定的期日以前より継続する事情があり、当事国が自己の立場を有利にするために行ったものでない」ものですから、当然証拠として採用できます。

 では、これらの証拠を示し、評価していきましょう。

1099: (>>1098) 国際法と竹島 3証拠編 2 SCAPIN-677 その1
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時08分
メッセージ: 1099 / 2486
さて、何かと竹島問題で取り上げられる SCAPlN- 677ですが、この際ですから、全文を紹介しましょう。その上で、その解釈を検討しましょう。
-------------------------------

AG 091 (29 Jan 46) GS 29 January 1946
( SCAPlN- 677)
MEMORANDUM FOR : IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT.
THTROUGH : Central Liaison Office, Tokyo.
SUBJECT : Governmental and Administrative Separation of Certain Outlying Areas from Japan.

l. The Imperial Japanese Government is directed to cease exercising, or attempting to exercise, governmental or administrative authority over any area outside of Japan, or over any government ofiicials and employees or any o~her persons within such areas.

2. Except as authorized by this Headquarters, the Imperial Japanese Governrnent will not communicate with government ofiicials and employees or with any other persons outside of Japan for any purpose other than the routine operation of authorized shipping, communications and weather services.

3. For the purpose of this directive, Japan is defined to include the four main islands of Japan (Hokkaido, Honshu, Kyushu and Shikoku) and the approximately 1.000 smaller adjacent islands, includiug the Tsushima Islands and the Ryukyu (Nansei) Islands north of 30' North Latitude (excluding Kuchinoshima Island) ; and excluding (a) Utsuryo (Ullung) Island, Liancourt Rocks (Take Is-
land) and Quelpart (Saishu or Cheju) Island, (b) the Ryukyu (Nansei) Islands south of 30' North Latitude (including Kuchinoshima Island), the lzu, Nanpo, Bonin (Ogasawara) and Volcano (Kazan or lwo) Island Groups, and all other outlying Pacific Islands Cincluding the Daito (Ohigashi or Oagari) Island Group, and Parece Vela (Okino-tori), Marcus (Minami-tori) and Ganges (Nakano-tori) Islands], and (c) the Kurile (Chishima) Islands, the Habomai (Hapomaze) Island Group (including Suisho, Yuri, Akiyuri, Shlbotsu and Taraku Islands) and Shikotan Island.

4. Further areas specificallv excluded from the governmental and administrative jurisdiction of the Imperial Japanese Government are the following: (a) all Pacific Islands seized or occupied under mandate or otherwise by Japan since the beginning of the World War in 1914, (b) Manchuria, Formosa and the Pescadores, (c) Korea, and (d) Karafuto.

5. The definition of Japan contained in this directive shall also apply to all future directives, memoranda and orders from this Headquarters unless othenwise specified therein.

6. Nothing in this directive shall be construed as an indication of Allied policy relating to the ultimate determination of the minor islands referred to in Article 8 of the Potsdam Declaration.

7. The Imperial Japanese Government will prepare and submit to this Headquarters a report of all governmental agencies in Japan the functions of which pertain to areas outside oi Japan as defined in this directive. Such report will include a staternent of the functions, organization and personnel of each of the agencies concern ed.

8. A11 records of the agencies referred to in paragraph 7 above will be preserved and kept available for inspection by this Headquarters.

1100: (>>1099) 国際法と竹島 3証拠編 2 SCAPIN-677 その2
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時11分
メッセージ: 1100 / 2486
では、SCAPIN-677の要点を和訳で引用し、さらに分析を加えましょう。
-------------------------------------------
「若干の外郭幼域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」
一、日本国外の総ての地域に対し、又その地域内にある政府役人、雇用貝その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及び行使しようと企てることは総て停止するやう日本帝国政府に指令する。

三、この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。
〈中略)日本の範囲から除かれる地域として(a)鬱陵島、竹島、済州島。(b)北緯三〇度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南烏島、中ノ鳥島を含むその他の外郭太平洋全諸島。千島島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。

四、更に、日本帝国政府の政治上、行政上の管轄権から特に除外せられる地域は次の通りである。(a)一九一四年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。(b)満州、台湾、膨湖列島。(c)朝鮮及び、(d)樺太。

六、この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第八条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。
『日本管理法令研究』第八号より
----------------------------------------------

 この指令の目的は、一条の通りで、指令されていることは「権力を行使または行使しようと企てることを停止」すべきこととされています。

そして、これにより、3種類の区域が定義されています。
---------------
A群 指令の目的のために定義される日本
---------------
B群 「指令の目的のために定義される日本」の範囲から除かれる地域
   (a)鬱陵島、竹島、済州島。
   (b)北緯三〇度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南烏島、中ノ鳥島を含むその他の外郭太平洋全諸島。千島島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。
----------------
C群 日本帝国政府の政治上、行政上の管轄権から特に除外される地域
   (a)一九一四年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。
   (b)満州、台湾、膨湖列島。
   (c)朝鮮
   (d)樺太
-----------------

さて、問題となる竹島は、B群に含まれます。

先に提示した「領域主権」の定義を思い出しながら読んで下さい。
 「国家領域の領有・利用に関する排他的権利が及ぶ場所的な範囲を画定するとともに、そこに在留する全ての者に対し包括的な国家管轄権を行使しうる権能」です。

この指令の三段階の区分から言えることは
1 B群地域における管轄権の保留 
B群において命じられていることは「政治上又は行政上の権力を行使すること、及び行使しようと企てることは総て停止」であり、その根拠となる権限までが奪われたわけではないということです。このことは、C群の地域が明示に「日本政府の政治上、行政上の管轄権」から除外されていることからも、B群の地域内においては、日本政府による「管轄権」が保留されたままで、その行使のみが禁じられていたということが明らかです。

2 三項で示す「日本」は、あくまでも「指令の目的」のために定義されている。
 三項では、「この指令の目的から」と、限定された上で「日本の範囲」を定義しているわけです。「政治上または行政上の権力を行使することを停止」させることを目的とする指令なのですから、その定義により日本の国境が画定されるなどという解釈が成り立つはずがありません。

3 六条の解釈
 六条は、これまで「最終的な」という部分に注目されて「暫定的・一時的」な指令として論じられる傾向がありましたが、これは正しくないわけです。上記考察の通り、この指令は小島に関しては 「管轄権の得喪」について述べていない、即ち「領域主権」の画定について、何ら定めていないということについて注意喚起しているわけです。
(続く)

1101: (>>1100) 国際法と竹島 3証拠編 2 SCAPIN-677 その3
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時34分
メッセージ: 1101 / 2486
(承前)
4 SCAPIN-1033について
 これも「日本漁業及び捕鯨業の操業区域指定」に関するものであり、我が国の領域主権に何ら影響を及ぼすものではありません。マンキエ・エクレオ事件の判決にも同様の主旨が述べられています。
 またそのことは、同指令の五条にSCAPIN-677第六条類似の項目を再度明示していることからも明らかです。


5 結論として
 SCAPIN-677及び1033においては、竹島に関わる我が国の領域主権は何ら変更を受けず、その主権に基づく権限の行使を停止されたに過ぎないということが明らかです。私法の世界でたとえるならば、ある土地の所有権はそのままにして、占有のみを移す場合と同じです。(地上権・借地権の設定、差押えなど)

 韓国側では、「SCAPIN677によって、永久に竹島が韓国の領土と画定した」と主張なさる方があるようですが、明らかに誤りであると判ります。

 特に、『史的解明独島(竹島)』(シン・ヨンハ著)日本語版199頁では、この指令の一部のみを引用して、「この指令は、日本の降伏文書の決議を実行に移すため、"日本の領土と主権が及ぶ範囲"を決定したものである」また、202頁において「この連合国最高司令部指令第六七七号によって、独島は、一九四六年一月二十九日付けで米国の軍政を経て、韓国に永久に返還された。」と述べていますが、先に提示した「領域主権」の定義と、本指令の主旨を考えれば、このような主張が明らかに誤りであることが判ります。

1102: (>>1101) 国際法と竹島 3証拠編 3 講和条約 その1
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時37分
メッセージ: 1102 / 2486
次に、「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」について見てみましょう。
まずは領土に関わる部分を引用し、その後検証します。
------------------------------------------
日本国との平和条約
署名1951年9月8日(サン・フランシスコ)
効力発生1952年4月28日

 連合国及ぴ日本国は,両者の関係が,今後,共通の福祉を増進し且つ国際の平和及ぴ安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意し,よって,両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締緒することを希望するので,
 日本国としては,国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し,世界人権宣言の目的を実現するために努力し,国際連合憲章第五十五条及ぴ第五十六条に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によって作られはじめた安定及ぴ福祉の条件を日本国内に創造するために努力し,並びに公私の貿易及ぴ通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言するので,

連合国は,前項に掲げた日木国の意思を歓迎するので,

 よって,連合国及ぴ日本国は,この平和条約を締結することに決定し,これに応じて下名の全権委員を任命した。これらの全権委員は,その全権委任状を示し,それが良好妥当であると認められた後,次の規定を協定した。

第1章平和

第1条【戦争の終了,主権の承認】(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は,第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は,日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

第2章領域

第2条【領土権の放棄】(a)日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及ぴ鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。(b)日本国は,台湾及ぴ膨湖諸島に対するすべての権利,権原及ぴ請求権を放棄する。(C)日本国は,千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利,権原及ぴ請求権を放棄する。
(d)日本国は,国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利,権原及ぴ請求権を放棄し,且つ,以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
(e)日本国は,日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを間わず,南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても,すべての請求権を放棄する。
(f)日本国は,新南群島及ぴ西沙群島に対するすべての権利.権原及ぴ請求権を放棄する。

第3条【信託統治】日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及ぴ大東諸島を含む。),嬬婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及ぴ火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及ぴ南烏島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及ぴ住民に村Lて,行政,立法及ぴ司法上の権力の全部及ぴ一部を行使する権利を有するものとする。

---------------------------------------------
(続く)

1103: (>>1102) 国際法と竹島 3証拠編 3 講和条約 その2
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時38分
メッセージ: 1103 / 2486
ではサンフランシスコ講和条約について検討を加えましょう。

1 前文の記述から、条約の目的のうちに「戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決」する事が含まれている。即ち、領土問題について、これまでになされた措置について解決を目指したものであるということが判ります。
 これまで連合国司令部が発してきた指令(SCAPIN-677等)に「最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」とある以上は、竹島を含む領土問題は「今なお未決である問題」に含まれることが明らかであり、当然本条約で解決されるべきものであることがわかります。韓国側は、本条約がSCAPIN-677の内容を改訂するものではないと主張しますが、本条約の目的に照らせば、このような主張が明らかに誤りであることが判ります。

2 日本の主権回復
 第1条後段により「日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認」したということ。即ち、ポツダム宣言以降これに基づきなされた、日本に対する諸々の主権に関する制限事項が、将来に向かって撤廃されたということです。
 このことにより、「政治上又は行政上の権力を行使すること、及び行使しようと企てること」を停止されていた地域における日本政府の完全な主権が回復したのです。このことは、次条とあわせてみるとより明らかです。

3 領土権の放棄
 領土権の放棄として、第2条において日本は「済州島,巨文島及ぴ臓陸島を含む朝鮮」「台湾及ぴ膨湖諸島」その他の地域に関する全ての権利,権原及ぴ請求権を放棄を放棄します。
 ここで重要なのは、「権利,権原及ぴ請求権を放棄」するというのは「処分行為」です。即ち、処分行為をなす権利を日本が保持していなければ、そのような「放棄」という「処分行為」は無効となります。これが有効となるためには、そのための権利「政治上又は行政上の権力」を有していなければならないわけです。このことからも、第1条後段による「日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権」は、朝鮮をも含む、ポツダム宣言当時の全ての日本領域について回復する必要があるわけです。そして、一旦回復した主権に基づき、第2条において明示される領域の主権を放棄する事ができるのです。

4 竹島の帰属と条約の沈黙
 竹島の名前は、第2条【領土権の放棄】にも第3条【信託統治】にも示されません。上記考察から明らかなように、放棄もされず、信託統治にも付されない竹島は、第1条による我が国の主権の回復と同時に、当然に我が国が十全な権能を有する領域として復帰したのです。
韓国側では、竹島について「放棄の条項に記述がない」ことが「SCAPIN-677の内容に変化がない」ことであると捉える主張もありますが、もともと、SCAPIN677では、領域主権の帰属を定めていないことを既に論証しましたので、このような韓国側の見解は明らかに誤りです。

5 若干の補足
 「済州島の外側にあるとする馬羅島」について、「日本との平和条約」で記述されていないことについて指摘する意見がありました。当該条約に「放棄」と記述されていない以上、条約上は我が国の主権の下に復帰したことになります。
 ただし、韓国がこれを静穏に占有し、他の国が抗議しないことにより、新たな領域権原が設定されたということになります。結局、竹島問題には何ら影響を及ぼしません。

1104: (>>1103) 国際法と竹島 3証拠編 4米国外交文書 その1
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前10時43分
メッセージ: 1104 / 2486
 「日本との平和条約」の起草段階において、連合国内及び米韓間でなされたやり取りからも、竹島が日本の固有の領土であることが示されます。

米国は、占領間の調査から、日本が竹島を古くから正当かつ有効に領有していた事実を確認しているのです。なお、これらの証拠から、1945年以前の事実に関する考察を今回省略することができました。

FRは、「Foreign Relations of the United States」の略
訳文はレファレンス昭和58年6月号 「サンフランシスコ条約と竹島--米外交文書集より---」より

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FR1949年七巻八九八頁以下
740.0011PW(Peace)/11-1449:電報
駐日政治顧間代理(シーボルド)から国務長官へ
     東京一九四九年十一月十四日
秘密
四九五、バターワースへ。マッカーサー元帥と私は、貴殿の十一月四日け書簡とともに送付された十一月二日付の条約草案、安全保障条項が入る予定の第五章を含まないものに対し個別に注意深い検討を加えた。
マッカーサー元帥は次のような意見を提出した。
(中略)
 以下は、我々が極めて重要であると考える条項に関する我々の予備的コメントである。
第四条  おそらく安全保障条項が、台湾および隣接諸島の終局的決定をもたらすであろう。国民投票による台湾信託統治問題を検討してはどうか。

第五条第二項  日本は間違いなく、択捉、国後、歯舞および色丹に対して強い領土主張を行うであろう。合衆国はそのような主張を支持すべきであり、草案中でこの事態における特質を然るべく見越しておくべきであると信ずる。
恒久的国境線および漁業の問題にかんがみ、この問題を極めて重要と考える。

第六条 リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われる。安全保障の考慮がこの地に気象およびレーダー局を想定するかもしれない。
(後略)


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FR1950年六巻二二二七頁以下
694.001/10-2650
北東アジア課ロバート・A・フィアリー氏による日付のない覚書
           〔ワシントン〕
秘密
合衆国が準備した対日条約に関する原則の表明に対しオーストラリア政府が提出した質間に対する回答
(中略)
瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島群島、琉球諸島最北部および伊豆諸島、いずれも古くから日本のものと認められていたものであるが、これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている。
(後略)


-------------------------------
(続く)

1105: (>>1104) 国際法と竹島 3証拠編 4米国外交文書 その2
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前11時06分
メッセージ: 1105 / 2486
(承前)
-----------------------------------------------
FR1951年六巻1202頁以下

北東アジア課朝鮮担当官(エモンズ)による会談覚書
  (ワシントン)1951年7月19日
秘密
主題 対日平和条約
出席者 ユーチャン・ヤン博士、韓国大使
    ピョーウーク・ハン氏、韓国大使館一等書記官
    ジョージフォレスター・ダレス大使
    アーサー・B・エモンズ氏、朝鮮担当第三事務官
 韓国大使は、本日午後二時、事前の面会約束によってダレス氏を訪問した。ヤン博士は、会談の開始に際し、韓国政府が対日平和条約に組み入れることを考慮してほしいと希望するいくつかの点を掲げる国務長官あての公文(添付資料)をダレス氏に提出した。
(中略)
 ダレス氏は韓国大使の伝達文第一項が対馬島に言及していないことを指摘し、韓国大使はこれが落とされたことに同意した。次いでダレス氏はドク島、パラン島二島の位置について尋ねた。ハン氏は、これらは日本海にある小島であり、大体鬱陵島の近くだと思うと述べた。ダレス氏はこれらの島が日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったかどうかを尋ね、大使は肯定した。ダレス氏は、もしそうであれば条約中の日本による韓国領土の領土権放棄に関する適当な箇所にこれらの島を入れることについて、特に問題はないとした。
(中略)

----------------------
添付資料
韓国大使(ヤン)から国務長官へ
  〔ワシントン〕一九五一年七月一九日

書簡をもって啓上いたします。本大使は、近時の改訂された対日平和条約草案に関する次の要望を国務省において険討されたく、本国政府の訓令に基づき閣下に提出する光栄を有します。
一、大韓民国政府は、第二条a項の「放棄する」という語を、「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、ドク島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対するすべての権利、隆原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。(略)

---------------------------
国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡(一九五一年八月十日)

 書簡をもって啓上いたします。本官は、対日平和条約草案に関し若干の点について合衆国政府の検討を要請する1951年7月19日付け及び8月2日付
けの閣下の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
 草案第2条(a)を日本が「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、ドク島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対する
すべての権利、権原及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」と改訂するという韓国政府の要望に関しては、合衆国政府は、遺憾ながら
当該提案にかかる修正に賛同することができません。合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対
する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を条約がとるべきだとは思いません。ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる
島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支
庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。(中略) 
 本官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かって敬意を表します。
                    国務長官に代わって ディーン・ラスク   
(韓国はその間にパラン島に対する領土主張を撤回していた。)
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1106: (>>1105) 国際法と竹島 3証拠編 5日米間条約等
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前11時09分
メッセージ: 1106 / 2486
 日本がアメリカ合衆国との間に結んだ条約・協定・決定で、竹島に関わるものを以下に示します。

 もしも韓国が主張するように、占領間に連合国が竹島を韓国側に領有させたとしたら、連合国の政策決定を主導した米国と日本の間で以下のようなものは絶対に結ばれ得ません。
従って、これまで検証してきた証拠を、さらに補強する証拠となります。

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日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)
1951年9月8日 署名(サンフランシスコ)
1952年4月28日発効
第一条〔駐留米軍の使用目的〕平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許宇し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全
の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

第三条〔行政協定〕アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。

-------------------------------------------

日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定
1952年2月28日署名
1952年4月28日発効
第2条
日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第1条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する。ここの施設及び区域に関する協定は、この協定の効力発生の日までになお両政府が合意に達していないときは、この協定第26条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。

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行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定
1952年7月26日署名・発効

日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定第2条第1項に基づき、日本国がアメリカ合衆国に提供する施設及び区域
附表2
空軍訓練区域
9 竹島爆撃訓練区域
 (一)北緯37度15分 東経131度52分の点を中心とする直径10マイルの円内
 (二)演習時間毎日24時間

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日米行政協定に基づく日米合同委員会の決定
1953年3月19日
竹島を米軍演習場から削除

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1107: (>>1106) 国際法と竹島 3証拠編 6補足
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前11時16分
メッセージ: 1107 / 2486
その後の経緯の一部として、若干補足しましょう

まずは、以下の文書をご覧下さい。
--------------------------------------
「国際司法裁判所提訴についての口上書」

外務省は、在日本大韓民国代表部に敬意を表するとともに、竹島の領有問題に関し、次のとおり申し述べる光栄を有する。
一、日本国政府は、竹島が日本国領土の不可分の一部であることを確信し、これを韓国領土なりとする大韓民国政府の主張を屡次の公文、特に一九五四年二月十日付外務省口上書亜二第十五号をもって反駁して来た。しかしながら、大韓民国政府は、日本国政府の見解を全く無視した。のみならず、日本国政府の度重なる申入れ及び厳重な抗議にもかかわらず、大韓民国官民による竹島に対する侵犯、同島周辺の日本国領内における漁猟並びに同島にわける大韓国領土標識及び灯台の設置等の不法行為が繰り返され、更に最近同島の現況調査のため派遣された日本国巡視船が同島より突然銃撃を受け損害を被るに至った。
二、本件は、国際法の基本原則に触れる領土権の紛争であるので、唯一の公正な解決方法は、本件紛争を国際裁判に付託し、判決を得ることにあると認められる。日本国政府は、紛争の平和的解決を熱望し、本紛争を日本国政府及び大韓民国政府の合意の下に国際司法裁判所に付託することをここに提議する。
三、日本国政府は、大韓民国政府がこの紛争の最終的解決を最も公正にして、権威ある機関、すなわち国際司法裁判所にゆだねることを確信し、早急に好意ある回答を寄せられんことを期待する。日本国政府は、ここに、国際司法裁判所の下すいかなる判決にも誠実に従うものであることを誓約する。
四、裁判所の判決のあるまでの期間、両国政府が事件をこれ以上紛糾させないためにあらゆる手段を尽すことは、最も希ましいことと考えられる。よって、外務省は、日本国政府が竹島などその周辺において困難な事件の発生を防止するための共同の暫定措置について大韓民国政府と協議する用意があることを同代表部に通報する。
外務省は、在本邦大韓民国代表部が前記の諸提案を大韓民国政府に伝達し、それらの提案に対する同国政府の見解を同省に通報せられんことを要請する。      昭和二十九年九月二十五日

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これに対して、韓国側はどう反応したでしょうか?
第一報を紹介しましょう。

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(九月二十八日京城中央社)は韓国政府当局の言明として、次のように報じている。「竹島は歴史的にも韓国領であり、国際法廷に提訴するという日本側提案は全く非常識である。ハーグの国際法廷はこの問題とは何の関係もない」
---------------------------------------

 その領有権限の正当性に自信があるならば、正々堂々と公正な審判を求めることが何故非常識なのでしょうか?
 韓国の民事訴訟法では、或いは社会の通念では、正当な権利の実現を求めて訴えを起こしたり、正当な権利を守るために応訴することがことが非常識とされているのでしょうか?

1108: (>>1107) 国際法と竹島 4結論
投稿者: Torazo_xxx ▼▲2000年12月17日 午前11時20分
メッセージ: 1108 / 2486
 このような原則の確認・証拠の検討を通じ、国際法的に竹島が明瞭に日本の固有の領土であり、たとえ今後韓国が現在のような支配を継続したとしても、それは「紛争の存在が明らかになった時点で当事国が自己の立場を有利にするために行った行為」であり、決して領有権は韓国に移らないことが明らかとなりました。

ひとまずは、反論を待ちます。

------------------------------------------

 日本側の皆さんは、これらの論証を読んでも、決して驕ったりせず、況や韓国を泥棒扱いするような態度は厳に慎んでください。

この問題は、法的な側面と、感情的な側面を共に持ち合わせているのです。

------------------------------------------

 思うに、
当時の状況を考えれば、韓国は分断国家として新しく国を造ろうとした訳です。新しく国を造り人民を養っていくためには、少しでも有利な状態でスタートせねばなりません。その上、朝鮮戦争たけなわの時期に李ラインの設定はなされました。

 特に、良好な漁場を控えた竹島が韓国の支配下にあるとないとでは随分と差が生ずることでしょう。自らの漁民のために敢えて法を犯してまでも竹島を獲得したいと考えることは、当時の李大統領としてはごく自然な発想だったのではないでしょうか。

 韓国国民のみなさんとしても
「親は子のために隠し、子は親のために隠す。直きことその中にあり」という孔子の教えを思えば、たとえ李大統領の行いに「理」がないと判っていても、これを容易に認めないことが「道」であるとお考えかもしれません。

 しかし、韓国は今や立派な先進的国家です。
当時のような「やむを得ざる事情」はもはや存在しません。
既に国内でオリンピックを成功させ、今まさにワールドカップを手がけようとする、立派な「成熟した国家」なのです。


 この時期に、韓国としても「過去の検証と清算」をなさるべきではないかと、私は考えます。

 確かに、この問題で韓国が非を認めるということは、韓国人の名誉感情を著しく傷つけることでしょう。また、五十年近くにわたって竹島に駐留してきた兵士達の努力を無にすることにもなります。
しかし、このままで不法な占領を続けることは、それ以上に不名誉なことであり、子々孫々にわたって負債を負わせることになります。
 過去の判例として列挙された事件のように、法と正義に則って紛争の解決を求めた当時諸国があることに思いを致して頂きたいと思います。


 韓国政府の英断を支えるのは、韓国人の皆さんの世論と支持しかないと私は考えます。

 また、竹島の返還にあたり、できるだけ韓国側に不利でない条件を提示するというのも日本政府にとって肝要であると思います。これを支えるのは日本人の世論と支持であると思います。
◆◆◆◆◆引用おわり◆◆◆◆◆

今年も仙台に桜は咲く [仙台だより]

昨年は…いつ桜が咲いたか判らなかった。
職場の事業所にも桜は植えてあった。
しかし…その蕾の…花の…去就に目を向ける余裕はなかった。

唯一花に目が行った瞬間は…外回りをしているときだった。
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昨年僕が撮った桜の写真はこれだけだ。
釜石市鵜住居地区…
瓦礫の山を見下ろすように咲いていた。

人間社会を襲った天然の猛威がもたらした悲劇には関わりなく…ただ…静かに咲いていた。
その…すぐ後に猛烈な雷雨がやって来た。
猛烈な雷雨の中でも…ただ…静かに咲いていた。

さて…震災百日に一度このブログに書いた。
復興への遠い道のりを歩く気持ちを。

その後…

2次補正だ…3次補正だ…と長い論議の末施策は打たれた。
仙台の街は…いま復興特需に沸いていると聞く。
我が事業所も…本社の尽力によりほぼ復旧を終えつつある。

しかし…復旧できたのは…被災企業のほんの一握りに過ぎない。
被災した企業が復旧のための補助金を受けられるのは施工が終わった後だ。
自力があるか…融資を受けられないとそれができない。
できない企業は廃業するしかない。
だから…瓦礫を撤去した後の更地は…いつまでも更地のままだ…

そのような…人の都合の良し悪しにかかわらず…桜の季節が来た。
首都圏からうすら1ヶ月遅れだ。
一昨年のように新寺通りを歩いてみた。

まずは善導寺さん
鐘楼を背景とした枝垂れは今年も静かに咲いている。
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林香院さんの門前には十二支のお地蔵様が並んでいる。
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洞林寺さんのお地蔵様
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林松院さんの枝垂れ
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道仁寺さんの枝垂れ
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桜は人の営を見つめているのだろうか…
見えていても…いなくても…
桜は人の喜怒哀楽を斟酌しない。

津波に洗われても…重い雪を頂いても
じっと蕾を花を用意する。

時の満ちるを待ち
少しずつ開き始めると…必ず雨が降る…時には雪も降る。
じっと耐えてやがて全力で咲き誇る。

そして…何の未練もなく散っていく…

あれから百日…復興に向けた仙台すずめ踊り [仙台だより]

あの日あの時、僕は職場の自室にいた。
そこでは情報収集のためテレビの常時受信が許されている。
あの時は国会中継が流れていた。
僕は一週間の業務の成果をとりまとめながら国会中継に耳を傾けていた。
そこへ耳慣れないアラーム音ととともに緊急地震警報をテレビが告げる。
僕はとっさに部下たちに注意を促す。
僅かな微動の後横揺れが始まる。
決して弱くはない…震度4か5だな…

しかし長い…もう2分近いのではないか?
そこへ急激な縦揺れが来た!
これまで体験したことのない揺れだ。
過去の大地震の経験者が「突き上げるような」と表現していたのを思い出す。
机の上のパソコンが踊り跳ね出したのでこれを押さえる。
更に更衣ロッカーや本棚が倒れはじめる。
茶棚から落ちた食器が割れる音が響く。
5分間も経っただろうか…揺れが収まると…部下たちの安否を確かめ
そしてすぐに関東に住む家族に自らの無事を告げ、安否を確かめるメールを発する。
メールは数度の再トライの後通じ、関東でも相当の揺れであったことを知る。
事業所の非常用電源が灯り、テレビの電源は入るがアンテナブースターに電源が回らないらしく受信ができない。
同僚のワンセグが唯一の情報源となる。
千葉のコンビナートで火災、東京でも各地で建物が半壊、とにかく大きな地震だとわかる。

そこへ、名取で津波が押し寄せているという!
真っ黒な津波が舐めるようにして家々を押し流していく…

そのうちに雪が降り始めた…

夜になると…電力を失った街は漆黒に沈んでいる。
東の遠くの空に…チロチロと炎の舌が闇の天空へと伸びている…
携帯基地局の電波は次第に微弱になっていく…
僅か数キロワットを供給する非常用発電機以外の全てのライフラインは失われた…
事業所内の建物も工作物も道路も傷んでいる…
家族と連絡の取れない部下も多数いる…

☆☆☆[三日月][半月][満月][半月][三日月]☆☆☆

あれから百日が経った。

自衛隊も警察も消防も自治体もボランティアも事業者も被災者自身も壮絶な戦いだった。
いや…戦いはまだ続いている。

昨年見てきた青葉祭りも中止となった。

僕は事業所の復旧や業務継続などに当たってきた。
そして…今日、震災後初めての休日を取った。

今日は仙台で震災復興の願いをこめて「元気発信!ともに前へ 仙台すずめ踊り」が行われた。
僕は途中から見に行ったのだが、雨が降ってきた。
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雨の中でも勾当台公園のステージでは次々に祭連が上がって踊りを披露している。
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終わり頃になると西日が差してきて、東北復興の希望の虹が今日の踊りを締めてくれた。
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すずめ踊りは明日も行われる。
復興への長い道のりを照らしながら…
そして我々の戦いは当分終わらない。
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